道草手帖

好きなものや日々の出来事をのんびりと綴っていきたいと思います

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アクセル・ハッケ 『ちいさなちいさな王様』  

090611gumi


以前読んだ本ですが、とても読みたく
なって、久しぶりに紐解きました。

ある日、ふらりと
僕の部屋にあらわれた、
僕の人差し指サイズの
気まぐれな小さな王様。


十二月王二世と名乗る王様の世界では、
年を重ねるにつれ体が小さくなり、小さく
なればなるほど多くのことを忘れていく…
と人間の世界とはまるで逆の世界。

「おまえの話が、事実だとすれば…。
おまえたちは、はじめにすべての可能性を
与えられているのに、毎日、それが少しずつ
奪われて縮んでいくのだ。
それに、幼いうちは、おまえたちは、知って
いることが少ないかわりに、想像の世界が
やたら大きいのではなかったかね?
どうしてランプに明かりがつくのか、テレビの
画面に映像がうつるのか、理屈がわからない
から、想像しなくてはならなかった。
それに、木の根っこの下では小人たちが
どんなふうに暮らしているのかとか、巨人の
手のひらの上に立ったらどんな気分だろうか、
などということも想像していたのだろう。
だか、やがてもっと年とった者たちが、ランプ
やテレビの仕組みについて教えてくれる。
それから小人も、巨人も、実際にはいないと
いうことを知ってしまう。
おまえたちの想像の世界はどんどん小さく
なっていき、知識はますますふくれあがって
いく。そうじゃないかい?」


小さな王様が語ることは時にとんちんかん
にも思えることもありますが、次第に主人公
の僕の心にある変化をもたらしていきます。

王様の言葉は、日常に埋没し「考える」こと
を忘れてしまった僕や読み手の私たちへの
メッセージとも思えます。

真理かもしれない…

と思える言葉が随所に散りばめられています。
以前読んだ時にはそこまで考えなかったの
ですが、改めて読み返してみると、実に色々
なことを考えさせられました。


ちいさなちいさな王様ちいさなちいさな王様
(1996/10)
アクセル ハッケ

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いつまでも想像することを大切にしたい
と思います。そのためにも、たまには、
こんな童話を開く時間をもつのもいいです
よね♪

写真はクマの形のグミ、グミベアーです。
グミベアーは、小さな王様の大好物。
読んでいたら食べたくなって、買いに行っ
てしまいました。懐かしい味です♪


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category: 読む

thread: 読んだ本。 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 6

コメント

こんばんは。
またまた奥の深いお話ですね。
想像力ってみんな持っているのに、使わないといざって言う時に想像出来ないでいると思います。人から指導されないと何も出来ない子供も多いしね。
今のインフルエンザもそうかなぁ。ばい菌を見つけたようにTVで放送してるけど、その人たちの心を想像して欲しいな~って思います。現にイジメもあったようですし。
知識。今の時代、知らなくてもいいものまで入ってきますよね。
TVを無くそうかと今考え中です。
無くなったら淋しいかな~、やっぱり(笑)

URL | odette #-
2009/06/11 21:17 | edit

odetteさんへ

おはようございます。

確かに、odetteさんのおっしゃる通り、想像できない人
が多いかもしれませんね。
その人の置かれた立場に立つというのも、想像力の
なせる業ですね。情報を鵜呑みにして、何も想像せず
にいるのは、時に危険なこともありそうです。

私は最近ニュースや特別に観たいもの以外はテレビを
つけないで過ごしています。
様々な情報が洪水のように頭に入ってきて、時に混乱
するものですから。でも、テレビは無いと困るでしょうが…。

odetteさんのコメントを拝読して、とても考えさせられました。
素敵なコメントをありがとうございましたn(_ _)n

URL | noco #-
2009/06/13 07:52 | edit

我々は何処から来たのか?
我々とは何者なのか?
我々は何処へ行くのか?

ゴーギャン最晩年に描かれたあまりにも有名な大作の題名です。
そこに描かれている群像は、産まれた幼子から年老いた婦人へと画面が流れ、
中央やや左の奥、薄暗い木立の下にゴーギャン自身とかつての恋人が描かれています。
(柱:と僕は感じているのだが諸説あります)

この作品を描いた後、ゴーギャンは自らの命を絶ちました。

表題「わたしは何処へ」に触発され、
内容とはかけ離れた感想でした。

URL | 西 #-
2009/06/15 07:59 | edit

西さんへ

こんばんは。

ゴーギャンの作品を髣髴させる詩のタイトル
かもしれませんね。

> 我々は何処から来たのか?
> 我々とは何者なのか?
> 我々は何処へ行くのか?

とても深い意味をもつ作品ですね。
きっと人が生きていく道でぶつかる問題なの
かもしれません。

ゴーギャンはなぜ自らの命を絶ったのでしょう?
彼が何を考えながらこの作品描いたのか…
この作品の背景が気になります。

URL | noco #-
2009/06/15 22:47 | edit

背景。

キリスト教文化(カトリック教)と、
南太平洋地域に広く信仰されている多神教文化(日本も基本的には多神教文化圏です)との狭間で、
タヒチの女性と結婚し子をもうけた。
タヒチ人になりたかったが、でも自身のアイデンティティーの根元たる西欧文化(キリスト教文化・精神)との葛藤の中から、
西欧文化からの脱却を試みた。
西欧文化から離れようとすればするほど西欧文化に縛られ(作品を売るのはフランスであった)、
後半生は(一時フランスへ帰り再びタヒチへ帰った頃から)全く作品が売れず、妻と子も居なくなる極貧の中で、人知れずこの作品を残し死んでいきました。

ゴッホとゴーギャンの往復書簡集が出版されています。
また、ゴーギャンは自身の作品について膨大な文章を残している。
その全てではないですが読んだ中からの僕の想像でした。

URL | 西 #-
2009/06/16 07:55 | edit

西さんへ

こんばんは。

とても丁寧に教えて下さり、ありがとうございますn(_ _)n
当時のゴーギャンの置かれていた立場を想像すると、
非常に強い葛藤があったのではないかと思います。
自らを育んだキリスト教文化から離れ、他の文化に身を
投じることによって、ますますキリスト教文化を強く意識
したのではないでしょうか。
それは、逃れたくても逃れられない運命のような…。

それが、作品にも投影されているのでしょうね。

これまでほとんどこういった画家の人生について知らずに
作品を鑑賞していました。恥ずかしく思います。
それと同時に、ゴッホとゴーギャンの往復書簡集などを
読んでみたくなりました。


URL | noco #-
2009/06/16 21:57 | edit

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