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対峙すること。 
2010/06/23 Wed. 08:27 [edit]

何かや誰かと対峙すること。
在りそうで無く、できそうでできないことかもしれない。
友達や恋人、家族となら当たり前と思いきや、
対峙するには自分の正直な気持ちと何よりも本当の勇気、
そしてきっかけといえる機会がないとなかなかできるものではない。
もっとも、自分をさらけ出すのは簡単ではないから。
拒絶されるこわさもあるし、お互いに見たり感じたりせずに済むことまで、
向きあわされるのだから。
最初は言葉だって通じない。
何もかも噛みあうわけもないのです。
心を二、三歩後ろに置いたまま、なんとなく言葉を交わしたり、
共通する興味や趣味のハナシで楽しんだり、肌をあわせてみたり。
それで深い関係ができてしまうから、
それ以上それ以下にならないように時間を過ごし、
その時間の長さだけが真実と信じてしまうことって、
ある種、普通のことかもしれません。
仕事でも人間関係でも。
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そこでわかったのは、
対峙するって心と心を通じあわせるということでした。
そこには言葉も何もいりません。真っ裸な自分と、
相手にすべてを捧げる自分。
最初は戸惑うし、気持ちもあっちこっちにいきました。
だけど、だんだんと真正面から向きあうことになり、
それから逃げずに、忍耐強く、目と目をあわせてハナシをしたり、
楽しんだり、怒ったり、泣いたり、笑ったりしていると、
次第にいつでも心が通じあっている状態になるのです。
そんな瞬間はお互いに、あ、今だ、とわかるのです。
それは、とても幸せな気分に包まれる瞬間です。
信じあい、愛しあい、求めあい、助けあい、生きあう。
もう何も不安はありません。こわくはないのです。
松浦弥太郎『くちぶえサンドイッチ』より
お互いに相手を想いあい
穏やかな毎日を過ごしたい。
でも、
時折ぶつかってしまいます。
それはきっと
もっと大事なものを
見つけるために神さまが
与えてくれた機会だと……
松浦さんの言葉は教えて
くれているような気がして
なりません。
私は大切な人とちゃんと
対峙できているでしょうか……
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